なぜ自分は割とポジティブに物事を捉えられるのか?
そういう性分だからと言ってしまえばそれまでですが、仲間と対話する中で、自分の言葉にできていないクセに気づけました。 僕の”ポジティブシンキング”は「モヤモヤや困難、不安を“問い”に変えて、それをエネルギーにする」ということなのかなという考察です。
不安なとき、あなたはどう向き合っていますか?
- どう解決したらいいか分からない
- 何から手をつければいいか分からない
- 生成AIの進化に怯え、自分のキャリアの方向性に迷う
そんな“見えないストレス”に直面する場面はきっと誰にでもあると思います。
僕自身、そうした不安を感じることも勿論あります。不安を煽るような投稿や記事も見られますし...
でも、その状況に対して、どこか「楽しめている」ような気がしていました。 最初は「自己暗示が得意なタイプなのかな(笑)」と思っていましたが、どうやらもう一歩踏み込んだ“武器”があるのかもしれない...
モヤモヤを「問い」に変えるということ
例えば、うまくいかないことがあったとき、多くの人はまず「なんでうまくいかないんだろう」と考えると思います。
僕の場合は、それに加えて、
- 「どうやったらうまくいくだろう?」
- 「なぜ“これでいける”と思っていたんだろう(自分の判断材料に対する問い)」
- 「そもそも今上手くいく必要があるのかな(whenに対する問い)」 * 「自分一人で上手くいく必要があるのかな(前提条件に対する問い)」
- 「他チームの力を借りるとしたら、誰に相談するのがいいだろう(how/what に対する問い)」
といった問いが浮かんできます。
同様に、「生成AI時代において、エンジニアとしてどんなキャリアを気づけば良いんだろう」という不安に対しても
怖い...淘汰されるんじゃないか....何からキャッチアップしていけば良いんだ...
というMoyamoyaに支配されることを選ぶのではなくて
- 「生成AIとエンジニア という掛け算において、上手く付き合ってる事例って何があるんだろう」
- 「逆に、淘汰されない側になれるとしたら、どんなストーリーだろう」
- 「勝つか負けるかではなく、共生・共存するシナリオってないのかな。そこに自分(たち)らしさが掛け合わされるとしたら、在り方になるかな。」
- 「1週間で出来る共生・共存から始めるとしたら何からできるかな」
とかを考えると思います。
“問い”がもたらすもの
そういう色んな角度の”問い”が出てくる中で、自分の中で”当たり前”だと思っている前提や勝手に思い込んでいる前提条件・制約条件が浮かび上がってくると思います。そこにWhy?を突きつけ、別の道から山を登っても良くない?いや、そもそも登る山これで合ってるんだっけ?って問いかけることが大事だなと思っています。
持てる限りの色んな角度からの”問い”がテーブルに並んべて、自分がかけているメガネのレンズの色や度数(ピント?)に対する違和感に気付く。この自分に対峙する別の自分を作り出すような所作がポイントだと思っています。
また、根源的には「じゃ次にどうするか」を考える土台があるのかなと思います。そのうえで、危機感に煽られるようなネクストアクションではなく、ワクワクするような自分が楽しめるようなエッセンスやテーマに、リフレーミングして、知らないこと・不安なこと・分からないことを肯定的に受け止めるための工夫がされているんだと思います。それが僕なりの後天的人工ポジティブシンキングなんだと思います。
チームのリフレクションみたいな文脈で上記のnoteでは語られていたように感じます。ですが、不確実性や分からなさというモヤモヤしたものをそのままの形でどう受け止めるか、受け止めながらアクションを取っていくためにはどんな”問い”があれば、自分のワクワクが刺激され、探求したくなるのかを伝えているんだとも思っています。
「諦め」と似ているようで違う感覚です。 歩くことを一旦止めるだけで、歩くこと自体を否定する訳ではない。ただ、”捕らわれ”に気付き、上手く付き合っていける術は持ち合わせていても良いと思っています。
自分一人でそれが難しいなら、お互いが見えている絵(現実)に対してお互いに見え方を共有するような時間があっても良いと思います。